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カブトムシの日記

カブトムシの日記

大河ドラマ『義経』

1月9日放送 第1回 『運命の子』
寿永三年(1184年)二月七日、播磨・一ノ谷。そそり立つような断崖絶壁の上、源氏軍を率いる源義経は、今まさに、宿命の敵となった平家軍を奇襲しようとしていた。対する平家軍には、総大将・平宗盛とその弟・知盛・重衡の姿。今は敵味方に分かれた義経と宗盛らだったが、その幼少時代、本当の兄弟のように過ごしていた時期があった……。
 平治元年(1159)十二月。平治の乱で源氏軍が平家に破れ、京の都を追われた源義朝の愛妾・常盤は、まだ乳飲み子の牛若(のちの義経)と幼い子らを抱え、雪の中をさまよい歩いていた。
 一方平家では、捕らえた源氏の嫡男・源頼朝の処遇をめぐり、ある事件が起きていた。清盛の継母である池禅尼が頼朝の助命を求め、食を断つという行為に出たのだ。「敵方の嫡男を助命するなどもってのほか!」と考える清盛だが、そんなところへ常盤が三人の子を伴って出頭する。自分の命と引き換えに、捕らえられている母親と、わが子を助けて欲しいと訴える常盤。その胸に抱かれた赤子の牛若に、幼い頃に母親を失った自分の姿を重ねた清盛はある決断をする…。
―京都 六波羅
    六波羅蜜寺 市バス「清水道」下車徒歩5分
          京阪線「五条」下車徒歩10分

1月16日放送 第2回 『我が父 清盛』
清盛に命を助けられ、母・常盤とともに京の都に暮らしていた牛若は、本来は敵であるはずの平家の子どもらと実の兄弟のように楽しい時間を過ごしていた。そんな牛若の姿を見た重盛は、源氏の血を引く牛若に何らかの処分を与えるべき、と清盛に進言する。
 一方、清盛の妻・時子は、人づてに清盛が常盤の屋敷に通っていることを知る。ひと目、常盤の姿を見てやろうと考えた時子は、家臣の屋敷に常盤を呼び出させ、偶然を装って対面する。常盤の様子から、時子は常盤が清盛の子を身ごもっていることを見抜く。時子は常盤に対する激しい怒りを覚える。
 別の日。常盤の屋敷に宋の国の人々を招いた清盛は、自分の“夢”を描いた屏風を披露する。常盤のもとに預けておいたその屏風には、牛若の落書きがしてあった。清盛は、自分に臆することなく屏風に描かれた風景のことをあれこれと尋ねる牛若に、自分の“夢”=“新しき国”について優しく語って聞かせる。
 一方、久しぶりに清盛と過ごした時子は、常盤との関係について思うことを、それとなく清盛に伝える。時子の心中を察した清盛は、常盤を一条長成のもとに嫁がせることを決める。生まれて間もない娘の能子と牛若を常盤から引き離そうとする。しかし常盤の懇願に負けた清盛は、能子を時忠・領子夫妻に預けるものの、牛若は今しばらく常盤の手もとに置くことを許す。こうして母子は一条長成の屋敷に居を移すが、変わらず平家の人々を家族のように慕う牛若に、常盤は「もう平家の屋敷に行くな」ときつく言い渡すが……。
―広島県宮島町 厳島神社
        JR、広島電鉄「宮島口」よりJR連絡線、宮島松大汽船で10分

1月23日放送 第3回 『源氏の御曹司』
平家への出入りを禁じられた牛若は、洛中の孤児である五足たちと遊ぶようになっていた。そんな牛若の姿を見かけた重盛は、“牛若が再興を目論む源氏の者たちの結集の旗印とされるのでは…”との危惧を抱き、再び清盛(に牛若を処分すべしと進言する。進言を受けた清盛は、常盤の夫・一条長成を通じて、「牛若を仏門に入れるか西国に送るか、選ぶように」と常盤に伝える。ついにその時が来た … 決意を固めた常盤は、牛若に鞍馬寺へ行き仏門に入るようにと告げる。常盤の口から、鞍馬行きが清盛の指示によるものだと知らされた牛若は、自分と平家の関係について常盤に詰め寄る。しかし常盤は、明確な答えを避けたまま牛若を鞍馬寺へ送る。山門での別れ際、常盤は牛若に一本の笛を与えて去って行く。牛若は、母恋しさのあまりに脱走を試みるが、すぐに見つかって連れ戻されてしまう。やがて牛若は、覚日律師や陰陽師の鬼一法眼との出会いを通じてその世界観を学び、次第に心を落ち着かせていく。そんな牛若に、覚日律師は、遮那王という新しい呼び名を授ける。脱走こそしなくなった遮那王だが、周囲の目を盗み、たびたび寺を抜け出して洛中で五足らと遊ぶようになる。ところがある日、寺を訪れた新宮十郎義盛(のちの源行家)から、自分が源氏の棟梁・源義朝の子であり、父のように慕った清盛や優しかった平家の人々が義朝を討った敵であると告げられる。初めて知った真実の重さに、遮那王の心は千々に乱れる…。
―京都 鞍馬
    鞍馬寺仁王門 叡山電鉄「鞍馬」下車

1月30日放送 第4回 『鞍馬の遮那王』
遮那王は、今まで父親同然に思っていた平清盛が実の父を討った敵であると知り、清盛の愛妾となっていた母・常盤の胸の内を思い、ひとり悶々とした日々を過ごしていた。
 そんなある日、鞍馬寺を下りて都に出た遮那王は、あかねから、清盛が病気にかかり出家したと言う話を耳にする。敵だと知ってもまだ、清盛のことを憎めずにいる遮那王は、自分が源氏の棟梁の血を引く者であることを教えてくれた新宮十郎からもっと詳しい話を聞こうと、洛中を探し始める。その途中、遮那王は、悪僧に絡まれていた女を助ける。それは、成長した幼なじみのうつぼだった。
 鞍馬寺に戻っても気持ちの晴れない遮那王は、陰陽師の鬼一法眼のもとで、兵法の修行に打ち込む。
 一方、都では寺同士の抗争が起こり、平家の軍勢が武力をもって争いを鎮める。平家方から騒動の責任を問われた叡山の者たちは、ひとりの僧・弁慶に責任を被せ、騒動の首謀者として叡山から追放する。理不尽な仕打ちに怒り、叡山と平家に深い恨みを抱いた弁慶は、夜な夜な京の町で平家の公達から太刀を奪うようになる。  
 鬼一法眼の修行を終え、再び都に下りた遮那王は組紐屋のお徳を訪ね、清盛が常盤と幼い遮那王たちを助けた経緯とその理由尋ねる。
その帰り、見回りの兵の目を逃れるために女に化けて鞍馬寺へと向かう遮那王の前に、“運命の出会い”が待ち受けていた…。
―京都 鞍馬山
    鞍馬寺 ・僧正ガ谷
        ・義経息つぎの水
        ・背比べ石
        ・本殿金堂
    叡山電鉄「鞍馬」下車 仁王門まで徒歩3分

2月6日放送 第5回 『五条の大橋』
都から鞍馬寺への帰途、五条の大橋を通りかかった遮那王は、刀狩りをして世間を騒がせている弁慶に呼び止められる。弁慶は、遮那王を平家の者と間違えて襲い掛かる。弁慶の攻めをかわした際に、母・常盤から与えられた大切な笛を川に落としてしまった遮那王は、怒りをあらわにして弁慶を打ち負かす。
 桜の花も散った頃、六波羅では密かな企みが動き始める。朝廷との結びつきをより強固にしたい清盛は、娘・徳子を天皇に嫁がせようと考えていた。夫・清盛の意を受けた時子は、一門の女たちを集めて知恵を絞り、妹で後白河法皇の女御・建春門院滋子を通じて事を運ぼうと画策する。
 ある日、鞍馬寺に遮那王の幼なじみのうつぼがやって来る。すっかり大人びたその雰囲気に、驚きを隠せない遮那王だったが、様々な苦労を乗り越えながらも強くひたむきに生きるうつぼの姿に心打たれる。
 うつぼを送って都に下りた遮那王は、遊び仲間の五足と烏丸がならず者たちに襲われている場面に遭遇し、五足たちを助けに入る。ならず者たちの後を追いかけた遮那王は、そこに来合わせた時子の牛車の列を乱してしまい、警護の武士との間で騒動が起きる。そのさ中に“遮那王”の名を聞き咎めた時子は、武士たちを相手に立ち回りを演じる成長した遮那王の姿に目をみはる。
 警護の武士に追いつめられてある神社の境内に逃げ込んだ遮那王は、白拍子の静の機転で窮地を脱する。なぜか遮那王の生い立ちを知る静は、「失くした笛の代わりに…」と、自分の笛を貸し与える。立ち去る静を、遮那王はじっと見つめる。
 一方、六波羅に自分を訪ねて来た源頼政の願いを聞き入れた清盛は、平治の乱で手に入れた源氏の“髭切りの太刀”を頼政に見せる。しかし、頼政の話から太刀が偽物であることが分かり、清盛は自分を欺いた源頼朝への怒りを爆発させる。
そして、頼朝の弟で同じく源氏の棟梁の血を引く遮那王の身にも平家の手が迫ろうとしていた……。
―京都 五条大橋
    松原橋(旧五条大橋) 京阪電鉄「五条」下車

2月13日放送 第6回 『我が兄 頼朝』
いつまでも出家せず、たびたび都に降りてくる遮那王に、平家の警戒は強まっていた。遮那王は、平家からの褒美を狙ったうつぼの兄と、その手下の喜三太たちに襲われる。そして捕らえた喜三太から、平家が自分を殺そうとしていることを知る。
 別の日、遮那王は、平家が覚日律師に、遮那王をすぐに出家させるよう圧力をかけていることを知る。自分が出家せずに寺にいることが、周囲に迷惑をかけていると悟った遮那王は、自分の行く末について悩み始める。また、遮那王は、敵である清盛を未だ憎みきれずにいた。お徳を訪ね、今一度、清盛に会わせて欲しいと頼みこむ。
 そんななか、金売り吉次から、京を出て奥州平泉に逃れるよう勧められる。そして、兄・源頼朝の存在を改めて知らされる。
 一方、伊豆では、頼朝が京の動向を密かに見定めながらも、恋人・亀の前とともに、安穏とした日々を過ごしていた。狩りの途中の北条政子は、偶然、頼朝と出会い、道の行く手を邪魔され怒る。屋敷に戻った政子は、父・北条時政に頼朝を殺してくれと迫る。
―静岡県韮山町 蛭ヶ小島(頼朝流布地) 伊豆箱根鉄道「韮山」下車徒歩10分
        北条時政の墓
        北条氏廷跡

2月20日放送 第7回 『夢の都』
ある日、遮那王は、京の街中で平清盛の一行を目にする。うつぼや五足から、『清盛が福原へたびたび足を運んでいる』、と聞かされた遮那王は、幼い頃に清盛が語ってくれた“夢の都”の話を思い出す。自分の目で福原の海を見てみたいと思いつめた遮那王は、商人の吉次に福原への案内を頼み込む。
 一方、遮那王の兄・頼朝が暮らす伊豆では、いつになく元気のない娘の政子の様子に父・北条時政が気をもんでいた。やがて政子の胸の内を知った時政は、その翌日、頼朝を訪ねて『今後、政子が何を言っても取り合わぬように』と釘を刺して帰って行く。何のことやら分からぬ頼朝だったが、周囲の者たちの様子から、政子が自分に想いを寄せているらしいと知る。
 ある日、念願が叶って吉次の案内で福原にほど近い海にやってきた遮那王は初めて目にする光景に心躍らせる。同じ頃、福原では清盛が後白河法皇を接待していた。その席で清盛は法皇から、自分の娘・徳子の入内を約束される。しかしそのことは、台頭する平家を快く思わぬ公家たちとの間に生じていた軋轢をさらに大きくするものでもあった。
 福原を訪れたことで、生まれ育った都以外の土地を知り、同時にまた実の父のように慕ってきた清盛と自分との間にある大きな隔たりをも悟った遮那王。ようやく迷いを振り切った遮那王は、都を離れることを決断する。
 行く先は、以前に吉次から勧められた奥州・平泉 - 決意を固めて一旦鞍馬寺へと戻った遮那王をあの弁慶が待ち受けていた。五条大橋の一件の意趣返しか、と訝る遮那王。だが、弁慶の口から発せられたのは意外な言葉だった…。
―京都 大原 比叡山山麓
       三千院
       寂光院 建礼門院徳子
       ・建礼門院庵跡
       ・建礼門院大原西陵  京都バス「大原」下車徒歩15分 
        
2月27日放送 第8回 『決別』
都を去って奥州へ行くことを決断した遮那王は、吉次にその旨を伝え、準備を始める。
都では清盛の娘・徳子の入内に端を発し、平家と摂関家との間で衝突が続いていた。その対応を巡り、平家側が頭を下げるかたちで穏便に解決したいと考える清盛と、詫びる必要はないと主張する重盛との間で意見が対立する。その遣り取りの中で、清盛は、普段は温厚に見える重盛が“平家の跡継ぎ”としての強い信念を持っていることを知る。その強硬さに一抹の不安を抱きながらも“跡継ぎ”としての自覚を持って振舞う重盛を頼もしく思う清盛だったが、その一方で入内を拒む徳子に頭を痛める。
そんな頃、伊豆から源頼朝と北条政子が親密な仲なのではないかとの噂が都に届く。頼朝の一件を耳にして、改めて源氏への脅威を感じた宗盛は、『遮那王を今すぐ出家させるか、あるいは亡き者にすべき』と、清盛に迫る。
平家から圧力をかけられた母・常盤から、『直ちに出家するように』と伝えられた遮那王は、自分が都を去る時が迫っていることを知る。
遮那王の胸中 ― 清盛に対する複雑で断ち難い思い ― を察していたお徳のはからいで遮那王と清盛は久方振りに対面する。短い時間ではあったが、清盛の言葉は遮那王の胸に強く刻み込まれる。
そして遮那王は、常盤に別れを告げるため、一条長成の屋敷に忍び込む。常盤を前に、遮那王は思いの丈を打ち明ける…。
―京都 東山区
    小松谷 正林寺(重盛=小松殿)
        京都市バス「馬町」下車
        京阪バス「上馬町」下車

3月6日放送 第9回 『義経誕生』
覚日律師らに別れを告げ、密かに鞍馬山を降りた遮那王は、吉次や同行を願う喜三太とともに、一路奥州を目指していた。
 一方、遮那王が鞍馬を出たことを知った平家方は、各地に“遮那王追捕”の命を発する。追っ手を避けながらの道中となった遮那王の一行は、ある時は吉次たち商人と隊列を分かちながら奥州へと向かう。その途中で山賊の襲撃を受ける遮那王。そこへ、うつぼから行き先を聞いて都から後を追って来た弁慶が加勢に現れ、山賊を追い払う。
 休息を取る遮那王一行を再び山賊が襲い掛かるが、またしても撃退され、ことごとく捕らえられる。そのさ中、身を守るためとはいえ、初めて人の命を奪うことになった遮那王は、ひとり思い悩む。供の者たちは『山賊を処罰してしまうように』と勧めるが、遮那王は山賊たちが改心することを条件に、処罰することなく身柄を開放する。遮那王が源氏の棟梁の血を引く者であることを知った山賊のひとり、伊勢三郎は『自分も源氏にゆかりの人間である』と明かし、『家来にしてほしい』と頼み込む。断る遮那王だが、三郎は諦めることなくつきまとう。
 やがて尾張の国にたどり着いた遮那王は、別行動を取っていた吉次と再会する。尾張の地で父・義朝が最期を迎えたと知った遮那王は、この地で自ら元服することを決める。弁慶らに見守られながら、元服の儀式を執り行った遮那王は、「源九郎義経(みなもとのくろうよしつね)」と名を改める。
平家方の追捕の手が迫ってきたことを察知した一行は、危険な陸路を避け、海路を進んで東国を抜けることになり、吉次の手配で駿河次郎の船に乗り込む。
 途中、義経は次郎に『伊豆はどこか』と尋ねる。まだ見ぬ兄・頼朝に思いを馳せながら、伊豆の方向に目を向ける義経。その伊豆では、『頼朝を夫にする』と言い出した政子を前に、父・時政が頭を抱えていた。
 無事に船旅を終えた義経一行は、再び陸路を進む。その中には、船に忍び込んでいるところを見つかって供になることを許された伊勢三郎と、義経の人柄に惹かれて同道を決めた駿河次郎の姿があった…。
―岩手県 平泉町 中尊寺金色堂
         弁慶堂  JR東北本線「平泉」よりバス「中尊寺」下車
 
3月13日 第10回 『父の面影』
奥州平泉に到着した義経一行は、藤原秀衡らに迎えられる。その夜、歓迎の宴席で酒を飲んだ義経はうたた寝をしてしまう。その様子を目にした秀衡の息子や側近たちは義経のことを悪し様に言う。秀衡は義経がいかなる人物なのかを見極めようと考え、“取り次ぎ役”という名目で家臣の佐藤継信に義経たちの行動を見張らせることにする。弁慶は監視を付けられたことに憤るが、義経は『あるがままに過ごせばよい』と諭す。
 やがて、京にも“義経奥州入り”の知らせが届く。報告を受けた清盛は、侮れぬ勢力を持つ秀衡との対立を招くことの無いようにとの配慮もあり、『義経への対応に慎重を期すべし』と息子の重盛に命じる。
 その翌年には、清盛の娘・徳子が入内し、天皇の中宮となったことで平家の権勢ますます強固なものとなっていく。
 京に戻る前に挨拶に訪れた吉次から、義経が烏帽子親も無いまま尾張の地で元服を執り行った理由を聞いた秀衡は、義経という人物を見直す。秀衡は義経に馬を贈り、自ら平泉の地を案内するようになる。義経は、領主としての自分の哲学を語って聞かせる秀衡に清盛にも似た感慨を抱き、見たこともない実の父・義朝の姿をも重ねる。 
 『この後は九郎殿をわが藤原家の子と思おう。都から九郎殿を差し出せと言われてもわが子を差し出すつもりは毛頭ない』 ― 義経は、秀衡から思いもよらぬ言葉をかけられる。秀衡は、清盛を父のように思いながらも源氏と平家という運命に抗うことができずに都を離れて自分の元に身を寄せた義経の胸の内を察し、自分が義経の父親代わりになることを心に決めたのだった。
 京から義経を追って来たうつぼや、喜三太、弁慶、伊勢三郎、新たに家来になることを許された駿河次郎らとともに、義経は穏やかな暮らしを営む。ところがそんなある日、秀衡の息子・泰衡が狩りの途中で行方不明になってしまう。懸命の捜索の甲斐も無く泰衡は見つからず、秀衡は断腸の思いで捜索を打ち切る。秀衡の苦渋を見て取った義経は、ひとり泰衡を捜して見知らぬ土地を行くが…。
―岩手県 平泉町 毛越寺  JR東北本線「平泉」下車徒歩10分
         大金堂圓隆寺跡
         浄上庭園大泉ガ池
 
3月20日放送 第11回 『嵐の前夜』
義経は、深い霧の中を行方不明になった藤原泰衡の姿を探し求めてひとり山奥に入る。無事、泰衡を助け出して平泉に連れ帰る。義経は、秀衡から『なぜ自分の命令に背いて泰衡を助けに行ったのか』と問われる。義経の返答を聞いた秀衡は、その洞察の深さや心根にいたく感じ入る。
 人並み外れた度胸と知恵で泰衡を助け出した義経の武勇伝は、またたく間に平泉に広まり、豪族たちはこぞって義経へ嫁取りの話を申し込むが、義経はなぜかその申し出を断る。ある日、義経のもとに佐藤継信の弟・忠信が訪れる。義経が結婚を断った女について『その女のどこが悪いのだ』と詰め寄ったのだった。うつぼは、そんな義経を巡る周囲の変化 ― 義経の結婚話が持ち上がるなど ― を感じ取り、自分が傍にいると義経の迷惑になることをを悟り、義経のもとを離れて京に帰る決心をする。
 その京では、平家が相変わらず栄華を極めながらも、その基盤に揺らぎが見え始めていた。鹿ヶ谷で平家討伐の密議が行われていたことが発覚。密告により反乱を事前に収めた清盛だったが、その密議に加わったとされる後白河法皇との関係は、それ以降、次第に微妙な距離を持ち始める。そんな折り、帝の子を身ごもった徳子を六波羅に迎えた時子は、領子に、ある決意を打ち明ける…。
―福島 飯坂町 大鳥城跡 福島交通飯坂線「飯坂温泉」下車
        医王寺 福島交通飯坂線「医王寺前」下車
        薬師堂 佐藤兄弟の鐙 
        佐藤兄弟の墓碑 

3月27日放送 第12回 『驕る平家』
平泉から越後への長旅に出ていた義経は、ある時、女武者に追われて逃げまどう一人の侍と出会う。その男女が、自分の従兄弟にあたる木曾義仲とその恋人・巴であると後で知った義経は二人のもとへ赴くが、すでに義仲らは木曾へ出立した後だった。名乗り合うことはできなかったものの、実の従兄弟との巡り会いに義経の心は浮き立たつ。 
 一方その頃、都は騒然とした空気に包まれていた。頻発する火事や盗賊の横行は人々の恐怖と不安を駆り立て、やがてそれは、権力をかさに着て横暴・非道に振舞う平家一門への不満へと変わり都中でくすぶり始めていた。
 このままでは都が混乱するばかり、と危惧したお徳は、清盛を諌めようと屋敷を訪ねる。あまりにも強大な存在になり過ぎたがために、己が郎党の声も民衆の声も耳に届かなくなってしまったのだ - そう指摘を受けた清盛は、お徳の勧めに従い、“耳役”として五足を自分の側に置くことにする。
 中宮徳子の皇子出産により、ますます栄華を極める平家一門だったが、清盛が最も信頼を寄せていた嫡男・重盛の死によってその根幹が揺らぎ始める。一門のため、棟梁である清盛になり代わり、心を鬼にして夜叉の如き厳しさで振舞ってきた重盛。他界する前に重盛からその胸中を打ち明けられていた清盛は、重盛亡き後は自らが夜叉の如く振舞うべしと固く心に誓っていた。 
 相次ぐ領地没収など、後白河法皇の仕打ちに怒った清盛は、兵を率いて福原から上洛し、徳子とその息子・東宮言仁親王(=天皇の後継者)を自分の手元に迎えてしまう。幼い親王を人質に取られた形になったことに慌てた法皇は使者を送るが、清盛の怒りは解けない。摂関家の者たちを次々と処罰した清盛は法皇の院政をも止め、さらにはまだ幼い親王を即位させ、安徳天皇としてしまう…。
―長野県 日義村 徳音寺   長野自動車道塩尻ICより約40分
               JR中央西線「宮ノ越」下車徒歩5分
         木曾義仲の墓
         義仲舘
         旗揚八幡宮 

4月3日放送 第13回 『源氏の決起』
平泉にいる義経は、藤原秀衡から清盛が後白河法皇を幽閉したとの知らせを聞く。都では平宗盛と源仲綱が、名馬「木下」をめぐり小さな騒動を起こしていた。この騒動で、息子・仲綱が侮辱されたことに怒った源頼政は、傲慢な平家を見限り、兵を挙げる決意をする。やがて頼政は今まで不遇の生活を強いられてきた後白河法皇の息子・以仁王を説得。平家追討の令旨を出させると、それを各地の源氏に届けてくれるよう、源行家に託した。その情報を知った秀衡は、義経を呼び寄せ「源氏と平家が戦になった場合、どうするか」と問いただす。「一度は父と思った清盛に刃を向けることができるのか」と問う秀衡に、義経は、すぐに答えることができない。一方、令旨を持った行家は、伊豆の頼朝、木曽義仲のもとを訪れ、着々と平泉に近づいていた。しかしその行動は、途中、行家がうっかりその役目を吹聴したことから、すでに平家の知るところとなっていた。そして行家から令旨を受け取った義経に、秀衡は今しばらく様子をみよ、と説得するのだった。
―滋賀 大津市 園城寺(三井寺)
        新羅善神堂  京阪電鉄「三井寺」下車徒歩10分
               JR琵琶湖線「大津」より京阪バス「三井寺」下車

4月10日放送 第14回 『さらば奥州』
義経をはじめ、諸国の源氏に決起を促した源頼政。
清盛は、信頼をよせていた頼政が、自分に対して昂然と反旗を翻したことに大きな衝撃を受けていた。
 清盛の命を受け、頼政追討に出陣した知盛と重衡は、激しい戦闘の末に頼政の軍を制圧。頼政が奉じた以仁王もまた、逃走の途上で命を落とす。平穏を取り戻したかに見えた平家一門であったが、清盛が福原への遷都を決めたことで新たな火種がくすぶり始めようとしていた。あまりにも性急に事を進めようとする清盛に対して妻の時子までもが異を唱えるが、清盛は時子の言葉に耳を貸すことなく遷都を強行してしまう。清盛の強引なやり口に、平家に対する人々の怒りと憎しみは増すばかり。
 藤原秀衡から福原遷都の一件を知った義経は、幼い頃に清盛から聞かされた“夢の都”の話を思い出す。皮肉なことに、清盛の“思い”を受け止めて理解することができたのは、今は敵となってしまった義経ただ一人であった。
 そんな頃、情勢をうかがっていた頼朝は、以前に下された以仁王の令旨を奉じて平家追討の兵を挙げることを決意する。“以仁王が生き延びている”という噂を利用した頼朝の挙兵の陰には、妻・政子の助言があった。頼朝は初戦で目代山木判官を討ち取るものの、石橋山の合戦で大庭軍に敗退する。窮地に陥った頼朝だったが、敵方の武将・梶原景時の計らいで脱出に成功する。
 一方、福原では時子を中心に、平家の女達が優雅に菊見の宴を催す。その席には、義経の妹・能子の姿もあった。
 頼朝の挙兵を知り打倒平家に立ち上がる義仲、正式に頼朝追討の命を発する清盛 … 事態が風雲急を告げる中、義経はある覚悟をもって秀衡の邸を訪ねる。
―京都 宇治 宇治橋
       平等院鳳凰堂

4月17日放送 第15回 『兄と弟』
奥州を後にした義経は、弁慶ら家来を伴って兄・頼朝が陣を張る黄瀬川へ。ついに義経は、念願の頼朝との対面を果たす。微力ながらも戦陣に加わりたい、と望む義経が命ぜられたのは、平家方の陣を間近に望む富士川の見張り役。総大将・頼朝の弟が努めるのにはあまりにも軽い役目だった。
 不平を口にする三郎や次郎をいさめた義経は、自分たちにしかできない見張りの仕事をしてみせよう、と士気を鼓舞する。義経らの様子を見にやって来た北条義時は、三郎たち郎党の優れた仕事ぶりと、義経の深い洞察力に感服する。義時から報告を受けた頼朝は、義経らに好感を抱く。その夜、突然飛び立った水鳥の羽音を源氏方の総攻めと勘違いした平家軍は、恐れをなして我先に逃げ出してしまう。そのさ中、騎馬を避けようとして倒れた一人の白拍子の姿を目にした義経は、三郎に命じてその白拍子を救い出させる。
 戦わずして勝利を収めた頼朝は、和田義盛らの進言を聞き入れて常陸攻めを決断するが、義経には鎌倉行きが命じられる。出立の仕度に取りかかろうとした義経は、三郎が助けた白拍子を間近に見て驚く。それは義経がまだ遮那王と名乗っていた頃、平家の者に追われていた義経の危地を救った静だった。「京へ帰る」とは言うものの、歩くこともままならぬ静の様子を見かねた義経は、静を伴って鎌倉へ向かう。
 鎌倉に到着した義経は、頼朝の妻・政子と対面する。義経のことを“いなか者にすぎぬ”と、たかを括っていた政子だったが、義経の聡明さに圧倒される。
 一方その頃、都では、戦わずして逃げ帰った維盛のふがいなさに、清盛が、“配流”という厳罰をも口にするほど激怒する。
 新しい土地での暮らしに慣れ始めたある夜、義経は鎌倉に戻った頼朝から館に招かれ、初めて兄弟ふたりで語り合う…。
―静岡県 黄瀬川 八幡神社
         対面石  JR東海道「沼津」または「三島」からバスで「八幡」下車

4月24日放送 第16回 『試練の時』
義経は、静の様子を複雑な思いで見守っていた。足の傷が回復すれば静は京へと帰って行く。静との別れの時が刻々と近づいていることが、義経の気持ちを重苦しくしていた。
 そんななか、平泉へ向かう途中で鎌倉に立ち寄った吉次から京の様子が伝えられる。それによれば、清盛が強行した福原遷都以降、盗賊が横行するなど町の治安が乱れ、人々は苦しい生活を強いられているという。吉次の話を聞いた義経らは、あまりに変わり果てた京の様子に言葉を失う。
 一方、福原では、一計を案じた後白河法皇が平宗盛の情に訴えて、父親の清盛に“都帰り”を進言させる。一旦は厳しい言葉で宗盛の進言を退けた清盛だったが、他の一門の者たちも同じように“都帰り”を望んでいることを知り、ついに決断を下す。身内の誰にも理解されることのないまま長年抱いてきた夢をあきらめなければならない清盛の胸中を察することができたのは、皮肉にも、遠く鎌倉で知らせを聞いた義経だけであった。
 ある日、義経は、兄・頼朝と亀の前の関係を知った政子が、嫉妬に打ち震える姿を目撃してしまう。その夜、火を放たれて家から焼け出された亀の前は、三郎らに助けられて義経の屋敷に連れて来られる。政子の恐ろしさが骨身に染みた亀の前は、頼朝の前から姿を消し、生まれ故郷の伊豆へと帰って行く。頼朝と亀の前の一件がそうさせたのか、“男と女”として相手を意識した義経と静は、互いの思い打ち明け、気持ちを通わせる。静との幸せなひとときを過ごす義経だが、その周囲では様々な思惑が蠢(うご)めいていた。
 人を惹きつける不思議な魅力を持つ義経の存在を危険視した政子と父親の北条時政は、義経を退けるよう頼朝に進言する。頼朝と同じ源氏の棟梁の血を引く実の弟ではあるものの、義経の立場は微妙なものとなりつつあった…。
―神奈川県 鎌倉 鶴岡八幡宮
         源頼朝ノ墓 JR横須賀線「鎌倉」下車徒歩10分

5月1日放送 第17回 『弁慶の泣き所』
義経たちが鎌倉での平穏な日々を送っていた頃。京への“都帰り”が本格化してにわかに騒がしくなった福原で、清盛はひとり静かにその動向を見守っていた。
 一方鎌倉では、ただひとり義経と静の仲に気づかない弁慶は館に女がいることが気に入らず、静に「京へ帰るように」と勧める。そんな様子を見かねた三郎と次郎がそれとなく義経と静の間柄を教えようとするが、弁慶には理解できない。そんなある日、浜辺で大波にさらわれて溺れかけた弁慶は、漁師の娘・千鳥に助けられる。漁師小屋で意識を取り戻した弁慶が見たものは、身体を拭く千鳥の姿。初めて女性の肌を目にした弁慶は激しく狼狽し、助けてもらった礼も言わずに小屋を飛び出してしまう。その夜、千鳥の父親が館に押しかけて来たことから弁慶の一件は義経らの知るところとなる。
 不器用な弁慶の“初恋”を微笑ましく見守る義経たちだったが、そんな平穏も束の間、義経は頼朝の妻・政子から、“嫁取り”を打診される。それが「頼朝の意向でもある」と聞かされた義経は、ひとり思い悩む。義経の苦悩の原因が自分にあると知った静は、義経の元を離れて京に帰ることを決心する。話を聞いた弁慶らは何とか静が鎌倉に留まる手立てを考えるが静の決意は固く、静は千鳥に自分が去った後の義経らの世話を頼む。
 そんな頃、平家は各地で発生する反乱の平定に追われていた。清盛の命を受けて奈良に攻め入った重衡は、あろうことか寺社や大仏を焼き討ちし、このことが平家に対する反感をますます強めてしまう…。
―神戸市 兵庫区 荒田八幡神社
         能福寺 JR山陽本線「兵庫」下車徒歩10分
         清盛塚
 
5月8日放送 第18回 『清盛死す』
義経の鎌倉での暮らしは、一見、平穏であった。しかし「兄・頼朝の傍で役に立ちたい」と駆けつけてみたものの、頼朝の周りは既に東国武士が固めており、居場所の無い義経は肩身の狭い思いをしていた。 
 一方、京に戻った清盛は、ついえてしまった“夢の都”=福原への思いを抱きながら、失意の日々を送っていた。そんなある日、久方ぶりに盛国の屋敷を訪ねて昔を懐かしんでいた清盛は、突然、意識を失って倒れてしまう。高熱を発して病の床に就いた清盛は、「宗盛を自分亡き後の後継者とし、以後は宗盛と話し合って政を執り行ってほしい」との思いを伝えるべく、後白河法皇のもとに使者を送る。しかし、すでに清盛を見限っていた後白河法皇は使者に何の返事も与えないまま帰してしまう。そんな朝廷の態度を不審に思った時子は、法皇のもとに宗盛を赴かせるが、肝心の宗盛は法皇にうまく丸め込まれてしまい、何の言質も得られぬまま帰って来てしまう。そして、周囲の者たちの必死の祈祷や看病も及ばず、病状が悪化した清盛は六十四歳でその生涯を閉じる。その数日後、後継者となった宗盛に平家の棟梁として一抹の頼りなさを感じていた時子は、一門が揃った席上、清盛の遺言を伝えるなかで、ある“嘘”をつく。
 その頃、義経は、頼朝と政子から「清盛死す」の知らせを受ける。 自らを縛っていた枷が取れたことで、誰はばかることなく源氏の武士として存分に働くことができる ― 頼朝らの問いに毅然と答える義経だが、その胸中には複雑な思いが去来していた…。
―京都 西八条第跡 梅小路公園
          若一神社 JR京都線西大路下車徒歩5分
               市バス「西大路八条」下車

5月15日放送 第19回 『兄へ物申す』
鎌倉での日々を送る義経のもとに、また一つ悲しい知らせが届く。それは、「五足死す」の報であった。たび重なる親しい人物の死。義経は、束の間、激しく動揺するがすぐに自分を取り戻す。そんななか、義経は、頼朝の邸でもう一人の兄・範頼に引き合わされる。同じ父の血を引く兄との対面に義経は大いに喜ぶ。頼朝と違って柔和な範頼の人柄に、義経は家族らしい温もりを感じる。 
 その頃、都では後白河法皇が“今後”を見極めようと考え、とりわけ各地の源氏の動向を注視していた。そんな法皇のもとに鎌倉の頼朝から一通の書状が届く。頼朝の書状には、法皇に対して謀反の意思が無いことや、命があれば追討の兵を退いて平家と和睦する用意があることなどがつづられていた。法皇は、ご機嫌伺いに来た時子に、丹後局を通して源氏との和議を促す。自分の“嘘”から事態が大きくなってきていることに不安を覚え始めていた時子は、これ幸いと宗盛らに頼朝との和議を促すが、宗盛は意外な反応を見せる。
 一方、墨俣川の戦いに敗れて頼朝のもとを訪れた源行家は、頼朝から冷たくあしらわれて立腹。義経を味方に引き入れようと画策する行家だったが、「一緒に源氏の旗頭に」と持ちかけられた義経はその誘いをきっぱりと断る。
 そんなある日、家臣の佐藤継信と忠信の兄弟が、突然、義経に“暇乞い”を申し出る。反平家の動きが拡大することを恐れた宗盛が奥州藤原家を陸奥守に任じたことから、藤原家の家臣であった継信・忠信の二人に“あらぬ疑い”が掛けられた。中には義経にまで疑惑を抱く者が出ており、主に迷惑を掛ける訳にはいかぬ ― そんな二人の思いを十分に汲み取った義経は、意を決して頼朝の邸へ向かうが…。
―岐阜県 墨俣町 鎌倉街道
         源平墨俣古戦場 JR「岐阜羽島」より車で約10分
         義圓公園    JR「大垣」より「墨俣」下車
                 岐阜羽島ICより車で約15分

5月22日放送 第20回 『鎌倉の人質』
平家の大軍が都を発ったという知らせを受けた頼朝は、直ちに和田義盛を総大将とする軍勢を西へ向わせる。しかし、義経に対する出陣の要請はなく、いつまでも活躍の場が与えられないことに、弁慶ら義経の家来たちはいら立ちを募らせる。努めて平静を装い弁慶らを諭す義経だったが、その心中にも不安は広がっていた。
 一方、頼朝のもとを離れ、木曽義仲のもとに身を寄せていた源行家は、頼朝より先に京へ入って平家を討ち、源氏の棟梁として名乗りをあげるよう、義仲をそそのかしていた。その噂を聞きつけた頼朝は、自ら兵を率いて信濃へ向かう。頼朝の強大な兵力を前にして勝機が無いことを悟った義仲は和議を申し出る。そんな義仲に頼朝方から「敵対の意思が無いのであれば行家らを引き渡せ」との要求を出される。行家らに何らの義理は無いものの、自分を頼って来た者を簡単に差し出せば家臣の信頼を失ってしまう…義仲は“負け戦”を覚悟で、頼朝方の要求を拒否する。義仲の“情け深さ”に感服したかのように要求を撤回した頼朝だったが、「義仲の嫡男・義高を自分の娘・大姫の婿として鎌倉に迎えたい」と、さらなる難題を突き付ける。それは、縁談に名を借りた“人質要求”であった。巴は我が子同然に育ててきた義高を差し出すことに強く反対するが、義仲には巧みな頼朝の策略に抗う術は無く、和議が整う。
 鎌倉へ戻った頼朝に、政子は「義経を義高と大姫の相手役に」と進言する。それは、いつまでも役目を与えられないことで義経が頼朝に対して不満を抱かぬように、との思惑からだった。義経に与えられた役目が“子守”だと知った弁慶たちは大いに憤慨するのだが…。
―熱海 伊豆山温泉 走り湯
          伊豆山神社 JR「熱海」よりバス「伊豆山」下車

5月29日放送 第21回 『いざ出陣』
義経は、父親の木曽義仲のもとを離れて、鎌倉で暮らす幼い義高に、幼い頃の自分の姿を重ね合わせる。義高の寂しさを少しでも紛らわそうと、義経は、弁慶らを連れて義高のいる屋敷を訪れる。 
 そんなある日、義高をめぐって“事件”が起きる。ある家臣が「義高を殺すべき」と頼朝に進言したところ、頼朝は、梶原景時に命じてその家臣を処刑させてしまったのだ。表向きには、義高は頼朝の娘・大姫の婿。他の家臣たちの前でその婿を辱めるということは、即ち、主たる頼朝に対して異を唱えることに他ならない。主従のけじめを示すために敢えて厳しい態度を取った ― 頼朝から真意を明かされたものの、義経は、家臣たちを力で押さえ込もうとするその考え方を素直に受け入れることができない。そんな義経に頼朝は、「情や絆ではなく道理や力で家臣たちを統制する」という、自分の『新しき国』についての理念を語って聞かせる。頼朝の目指す『新しき国』と、亡き清盛がかつて語っていたそれとは、全く別のものであるように義経には感じられる。自分にとっての『新しき国』とは何なのかと、義経はひとり思い悩む。
 一方その頃、頼朝に先んじて上洛を果たそうと目論む義仲は、平維盛が率いる平家の大軍に倶利伽羅峠で圧勝し、その勢いに乗って一気に都へ攻め上ろうとしていた。義仲の動きを知った頼朝は、義仲をけん制するために、「先陣として都へ向え」と義経に言い渡す。自分に先陣を任せた頼朝や政子の“思惑”など知る由も無い義経は、一も二もなくその役目を引き受ける。屋敷に戻った義経から、鎌倉へ移って以来初めて出陣の機会が巡ってきたことを知らされた弁慶や三郎、次郎らは喜びを爆発させるが…。
―富山 倶利伽羅古戦場 JR北陸本線「石動」下車車で10分
    猿ヶ馬場
    植生護国八幡宮 

6月5日放送 第22回 『運命の上洛』
義経は、鎌倉から京へ向う途中で、「北国で平家が敗走を続けている」との知らせを受ける。その頃、倶利伽羅峠の戦で平家軍に圧勝した木曽義仲は、敗走する大将の平維盛らに執拗な追い打ちをかけていた。都の様子を探るため、さらには義仲の真意(=都へ向うのか、鎌倉へ攻め入るつもりなのか)を探るため、義経は伊勢三郎を偵察に向かわせる。
そんなある日、維盛の母・経子が時子のもとを訪れ、借金を願い出る。経子は、「維盛が敗走中に手放して盗賊の手に渡った、平家の嫡流に代々伝わる鎧を買い戻したい」と話す。維盛は、己と家来の食料を手に入れるために、件(くだん)の鎧を手放したのだった。そんななか、時子の前にお徳が現れ、ある条件を呑むならば鎧を取り戻そう、と話す。朱雀の翁が盗賊どもに手を引かせ、鎧は無事に平家方に返される。ところが、その鎧を前にした宗盛は意外なことを言い出し、時子たちを驚かせる。 
一方、偵察から戻った三郎の報告で、義仲の軍勢が都に向っていることを知った義経は、「鎌倉方の軍勢が都に迫っている」という噂を流させ、義仲に兵を引かせようとするが、義経の策は裏目に出てしまう。一刻も早く都に入り、己が源氏の棟梁であることを世に知らしめんとする義仲は、大軍を率いて叡山にまで迫る。
冷静に戦況を判断した知盛は、宗盛に“都落ち”を提案する。一旦西国に退いて兵力を整えて反撃に出ようと主張する知盛に対し、宗盛はあくまで都に固執するのだが…。
―京都 八幡市 男山 岩清水八幡宮
           舞殿
           西国街道
           関戸院跡  京阪「八幡市」よりケーブルカー「男山」下車                      
                          または徒歩で約20分

6月12日放送 第23回 『九郎と義仲』
近江に陣を構えて都の様子を探る義経。その義経を訪ねて、幼なじみの うつぼがやって来る。うつぼから「平家が都落ちするらしい」という噂を聞いた義経は、この事態を受けて木曽義仲がどのように動くのかを見極めるため、自ら都に赴く。
 その頃、都では後白河法皇が御所から密かに逃げ出したことが発覚する。法皇と幼い安徳帝を伴って西国に逃れることで“官軍”としての立場を失うまいとした平家方の思惑は見事に外れてしまう。これまで、法皇が自分の後ろ盾であると信じてきた宗盛は、その法皇に裏切られたことに衝撃を受ける。一族に不安が広がるなか、亡き清盛の娘で義経の実の妹でもある能子は、領子から、平家の者として一緒に都落ちをするのか否かと尋ねられる。
 平家と入れ替わるように、義仲と行家の軍勢が都へ入る。鎌倉の頼朝に先んじて都入りを果たした義仲は、ついに源氏の棟梁の座を手に入れた、と喜びを爆発させる。義仲は行家とともに院の御所に召されて法皇に拝謁するが、法皇は義仲たちの粗野な振る舞いに不安を抱く。
 片や、西国へ落ち延びる途中で福原に立ち寄った平家勢は、清盛の供養を兼ねて管弦講を催す。そのさ中、時子は清盛の幻を見る。
その翌日、平家は自ら福原に火を放ち、清盛の“夢の都”は灰燼(かいじん)に帰す。
 一方、法皇から正式な官位を与えられて有頂天になった義仲は、巴とともに都の派手な生活に溺れ、兵たちを統制することができずにいた。密かに都の様子を探っていた義経は、義仲の兵たちの乱暴狼藉ぶりを目の当たりにする。同じ源氏の従兄弟として義仲を諌めようと考えた義経は、弁慶が止めるのも聞かず、単身で義仲に会いに行くのだが…。
―滋賀県 大津市 比叡山 延暦寺 JR「京都」・京阪「三条」よりバス「延暦寺バスセンター」下車
                 JR「比叡山坂本」・京阪「坂本」よりケーブルカー「延暦寺」下車

6月19日放送 第24回 『動乱の都』
義経は、都での木曽勢の横暴を止めさせたいと考え、単身、義仲の屋敷を訪ねる。しかし義仲は義経の言葉に耳を貸そうとせず、義経にとっては失意の対面となってしまう。その帰り道、義経は巴らに襲われるが、そこへ義仲が割って入り事なきを得る。
 一方、朝廷内では義仲ら木曽勢に対する不満が高まっていた。後白河法皇は、源行家を取り立てることで義仲を牽制しようと画策する。
 近江に戻った義経は、意外な人物、平頼盛と対面する。「平家が今日のような境遇に置かれてしまったのは、頼盛の母親がかつて行った頼朝の助命嘆願のせいだ 」と、 事あるごとに一門の者から言われ続けてきた頼盛は平家と袂を分つことを決意し、頼朝の招きを受けて鎌倉へ移ることにしたと言う。義経は、頼盛に頼朝への書状を託そうとするが、義仲や木曽勢の行状をありのまま報告すべきかどうか躊躇する。
 法皇の意を受けて平家追討に出陣した行家は、瞬く間に敗れ、都に戻らず和泉へと逃げてしまう。行家を利用した策略を義仲に気づかれて不安になった法皇は、側近の平知康を差し向けて義仲の様子を伺う。その知康を義仲が公然と愚弄したことから溝はさらに深まり、法皇は、義仲に対抗するため密かに僧兵を集め始める。
 このままでは義仲が立ち行かなくなると知った義経は、再度、義仲に会おうとする。今、義経が義仲のもとを訪ねれば戦に発展するのは必定。そうなれば「戦を起こしてはならぬ」という頼朝の命に背くことになってしまう…弁慶ら郎党に諌められた義経は、義仲との対面を思いとどまる。
 法皇の裏切りを知った義仲は、法皇が立て籠もった法住寺殿を襲撃。法皇を幽閉した義仲は、自ら“旭将軍”を名乗るまでに暴走していく。やがて頼朝の命を受けて大軍を率いた源範頼が近江に到着。覚悟を決めた義経も、義仲追討へと動き出す…。

6月26日放送 第25回 『義仲最期』
義経は、義仲追討のために都へと出陣する。初陣となった義経は、弁慶ら郎党の活躍もあり、宇治川で木曽兵たちを倒した後に入洛し、幽閉されていた後白河法皇らの救出にも成功する。
 一方、義仲は鎌倉方を迎え撃とうとするが、味方は僅か四千騎。鎌倉方の大軍に加えて叔父の行家が反旗を翻したことから情勢はさらに悪化し、義仲は都を追われることになる。覚悟を決めた義仲は、巴に別行動を取って落ち延びるようにと命じる。「決して義仲の傍から離れぬ」と言い張る巴だったが、鎌倉の人質となっている義高の行く末を託され、やむ無く義仲の言葉に従う。巴と別れて近江を目指す義仲は、鎌倉方の追手によって、盟友・今井四郎兼平とともに最期を遂げる。
 義経は、法皇から院の御所の警固を任され、都に落ち着く。お徳やうつぼ、吉次、あかねらと再会した義経は、久しぶりに心穏やかな日々を送る。そんな義経のもとを行家が訪れ、手のひらを返したように義仲の悪口を並べ立てる。行家の自分勝手な物言いに見苦しさと腹を立たしさを覚えた義経は、行家の言葉を遮って席を立ってしまう。行家への怒りと同時に、義経は、戦いのない世を望みながらも一族の争いに身を投じている自分に対する憤りを感じていた。そんな義経を、弁慶は「年を重ねることは、次第に無垢ではいられなくなること。だが、そのことを恐れてはならない」と諌める。
 翌日、吉次の計らいで、義経は母・常盤との対面を果たし、二人は久しぶりの再会を喜び合う。常盤の話から、義経は、妹の能子が平家に付き従って都落ちしたことを知る。そして常盤は、「二度と自分に会いに来ないように」と義経に言い渡す。思いがけぬ言葉に戸惑う義経だが、その思いを理解し、常盤の奏でる笛の音に耳を傾けながらひとり静かに屋敷から立ち去る…。






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